和解勧試
裁:「では双方の主張が出そろいましたんで、和解…はご存じですよね?」ぼくの方を見る。言葉は知ってますよ。応じるかどうかは中身次第ですけど。
裁:「これから原告被告の話を別々に聞かせていただいて、本訴が話し合いで…和解で解決できるかどうかお伺いしますがよろしいですか?」
双方同意。ってことは砂上もいくらか払うつもりでここへ来てるのか?だったら弁護士報酬の分さっさとこっちに回せば早く楽になれるのに…
裁:「ではまず、『被告側から』お話しをお聞きします。鈴木さんは廊下に出て待っていてください…荷物はそのままでもいいですよ」
被告陣営は無表情。裁判官は…少なくとも悪印象は受けないぞ。ぼく一人が頭のうえに疑問符を点滅させながら、とりあえず廊下へでる。へえ、となりは検察審査会の部屋か…ってなこと言ってる場合じゃない。なぜ被告側からなんだ?…
そうか!相対的に大きく譲歩させたいのは、被告側だから!そりゃそうだ。ぼくが大きく引かないと解決できないならば、先にこっちの意向を聞いておかないと折り合いをつけられないわけだし、お金を請求してるのがこっち、なのだから、向こうに譲歩させて…払わせる、つもりだ。いくらかはわからないけれど。
地方都市の裁判所の、4階建ての4階ともなると、さすがに廊下も人通りがない。ずっと向こうで二人連れが、椅子に座って動かない。窓の外を見れば、空は青々と高く、雲一つない。
場違いな日なたぼっこは、15分も続いたろうか。なんだか憮然とした砂上と無表情の波田弁護士がでてくるぞ?
今度は原告であるぼく対裁判官。書記官がいないので、まさに一対一だ。
裁:「あ、どうも鈴木さん。お待たせしました。…ええと今砂上さんからの話を先に聞かせてもらったんですが…まず基本給と割増賃金の約13万円はいいですよね」
ってオイ!?『いい』ってどういうこと?
こっちの目がまん丸になったことに気づいたか。詳しい説明が必要と判断したらしい。
裁:「ですからまず今回請求されている中で、基本給と割増賃金…鈴木さんの主張では13万917円のうち、和解ですからね、端数はおいておいて13万円はまず払う、と。そのうえでお考えを聞かせて欲しいんですよ」
僕:「!」
一瞬で決まってしまった。腰が抜けそうだ。もっともこれで腰が抜けたら、次の言葉で失禁していただろうが。
裁:「ここからなんですがね、ぼくも労働法はよく知らないんですがまず付加金ですけど…これは罰金みたいなもんですよね。それと訴状記載の「この他未払の金員」のうち賞与は在職5ヶ月ですからねぇ」
苦笑してみせる。つられてこっちも苦笑い。はは、ばれてたか。
裁:「ですからあとは、解雇予告手当約24万円、この一部を、支払って全面的に和解、つまり砂上開発との争いを、すべてこの訴訟で終わらせる、ということはできますか?砂上さんの方はまず10万円…プラスアルファ、は払ってもいいと言われているんですけど」
戦果拡張
今度こそ、腰が抜けた。本で読んだだけの「あれ」−請求額より多い額での和解−は、いまや選択肢として現実のものになったのだ。とりあえず動揺を押し隠して…なにしろ腰が抜けたので、踊り狂うこともできない。
でもプラスアルファ、って言ってるぞ。少しごねてもいいのか?むしろそれが受け入れられる立場にあるようでもあるが…
ええい、やっちまえ。もともと訴状に言いたい放題書いたのは、頭の隅ではこれを期待していたからだろうが鈴木!
腰から下はすっかり機能停止だが、上半身で目一杯虚勢を張ってみる。
僕:「そうした話であれば、条件次第で応じても構いませんが…10万円、ということで『あ・れ・ば』、付加金の給付判決をいただいた方がいいですね。ご迷惑をおかけします」
たぶん近年まれに見る傑作のポーカーフェイスができたはずなんだがな。でも語調から意志は汲んでくれよ!
裁:「だから、『プラスアルファ』、という話を砂上さんとしてみてもいいですか、ということですよ。といってもプラス10万とか15万というような額にはなりません、2、3万なら出せると言ってるんでそこからさらに、もう少し、ということになります」
すごいよ裁判官!どうせこっちは、付加金は判決でしかもらえないことはよくわかっている。向こうはそのへんを詳しくは知らないから、その部分に…解雇予告手当をはめ込んでくれるつもりだ!
この裁判で生じた、ぼくの解雇についての心証をちらつかせて被告側に圧力をかけたうえで!
だから裁判官からの質問では、解雇や失業中の質問がメインになったのか。しかも現時点で10万プラス2〜3万、こっちの請求は24万7千円だからほぼ半額確定だ。
ありがとうございます!と言いたい気分だがもう少し引っ張ってみる。
僕:「そうですね。そういうことでしたら、あくまでも条件によりますが、お話しを聞かせていただきたいと思います」
裁:「わかりました。では砂上さんのお話を聞いてみますので、また廊下でお待ちいただけますか?」
2度目の日向ぼっこは、数分で済んだ。また交代だ。
裁:「まず鈴木さん、砂上さんと話をしましたが、プラスアルファの金額としては「4万円」までで、もうこれ以上は出せないのだそうです。だから基本給と割増賃金で13万円に、解雇予告手当相当分が14万円、合計で27万円と…いうことですがどうでしょう?実際いくらぐらいだったら、納得していただけますか?」
これ以上出せない、ってか。だから、ここからもう一歩だけは、踏み込んでいいはずなんだよ、な。
僕:「そうですか、でもね。本来ならこれは全額いただける性質のものでしょう?私も今は完済しましたが、当時は借金もさせられましたしねえ。ほとんど即時解雇のような状態だったわけですから、基本給分で18万円『ぐらい』頂ければ『すぐに和解できる』んですが…」
さすがに裁判官も、顔をしかめた。もちろん、これはふっかけただけだ。プラスアルファの金額として、先ほどは10万円の上に4万円積んだのだから、もう4万積めよというのは被告も納得しないはず。でもここではこっちが譲るふりをする、そのために吹っかける必要は、まだあるのだ。合計18万が基本給相当額だから、というのは、論拠としてほとんどこじつけに近い。
裁:「鈴木さん。仮にここで和解を蹴ってまたケンカになっても、この裁判所までまた、何度も来なきゃならないじゃないですか。そのときに、もっと有利な証拠を出せますか?解雇の言い渡しをテープにとってある、とか。それに今は工場で夜勤で働いてみえるんでしょう?ぼくも司法研修の時に工場に送られたことがあったですけど、つらくないですか?」
今度はその切り口から来たか…さすがにそれをつかれると弱いんだよね。ハイ。そろそろ譲ります。次の論拠はもう、用意してあるんです。
僕:「へえ、司法研修で工場、ってのは初めて聞きました。まあ今の勤め先ではちゃんと働いた時間だけ賃金をもらってるんで」
ほほえんでみせる。
僕:「…いま10万円にプラスして4万円、ここまでで14万なんですよね。ここからあと2万円積んでもらえば…いちおう24万円の解雇予告手当のうち3分の2はもらえる見当になりますから、これで全面和解、ということなら構いませんよ!その線で話をしてもらうことはできます?」
裁:「う〜ん、そこからさらに上積み、というのはもうないわけですね?」
僕:「ありません。これで終わり、です。」
…いえいえ、1万円積んでもらえば結構です。だから2万の上積み請求なんです。
3回目の日向ぼっこは、2回目のそれより若干長かったようだ。
和解条項
裁:「ええと、いいですか?鈴木さんは振込先の銀行口座がわかるもの持ってます?」
僕:「持ってます」
裁:「じゃ和解条項を作りますからよく聞いてくださいね…」
もちろん死んでも、聞き逃しません!
裁:「被告は原告に対し、ええ…名目はどうしましょうね?」
僕:「解決金でいいっすよ♪」
裁:「被告はそれでいいですか?」
波:「構いません」
裁:「ハイ、では被告は原告に対し、解決金として金29万円の支払義務があることを認める」
そう。2万円の上積み要求は、結局通ったのだ。
裁:「遅延利息はどうします?つけますか?」
僕:「いいえ、結構です」
さすがにそこまですることはない。
裁:「では本件解決金を…今日は10月25日だから、1ヶ月後ぐらいまでには払えますか?では11月20日限り原告名義の預金口座に振り込んで支払う、と。口座番号は和解調書に載せておきますから。
そして、原告はその余の請求を請求を放棄する、だけどこれ請求額より多いな。…じゃぁいらないか?原告及び被告は、原告と被告の間に、本和解条項に定めるものの外に何らの債権債務がないことを確認する。最後に訴訟費用は各自の負担とする。…よろしいですか?」
さようなら!『おはよう』のない事務所
「大変よろしいです!ありがとうございました!」
平成13年10月25日、午後3時55分。
傾きかけた太陽が、法廷に一面のひかりの束を投げかけてくれる。
もう感情を表に出してもいいだろう。満面の笑みをたたえ、背筋を伸ばし、心からお礼を言ってだれに遠慮することがあろう。
ぼくはたしかに、お金だけではない錦秋の実りを手にしたのだから。
道理が通ること。偽りが退けられること。権利が実現されること。
それが少なくとも、若干の準備と少しのお金が必要で、そんなに身近に感じられるとはお世辞にも言えないけれど…ここには、裁判所にはあると信じよう。他でもないぼくたち自身の働きかけで、それができると信じよう。そんな話を、これから少しずつ、いろいろな人にしよう。
そこでは、否、そこにいたるまでの人と人との関わりの中でも、立場の違いや無知や傲慢や欲望から誰かを傷つけたり、そのことで思いもかけない報いを受けたりする人もいる、自分もこれからそうなってしまうかもしれないことを、決して忘れずにいよう。
ぼくは、司法書士を仕事に選んだのだから。
平成13年11月20日、本件訴訟に伴う解決金全額の振り込み完了。
芦葉との訴訟終結にともなう解決金の受領に遅れること5ヶ月。
同月、平成13年度社会保険労務士試験に合格。
聞けばこの年の厚生年金保険法の選択式は、足切り水準が「2問」だったとのこと。
平成10年12月、芦葉事務所に就職して以来の行政書士・土地家屋調査士との労働紛争は、これをもって完全に終結した。
社会保険労務士と、司法書士の兼業者であることに、今はなんの迷いもない。
このコンテンツは、ブラックな零細企業の残業代不払いと本人訴訟の体験談です
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