給料未払いへの対応には、
順番を誤ると選べない手続きがあります
行政上の手続きと裁判手続きの関係について
残業代や給料の未払いを回収するための手続きには、いくつかの初動対応=『手続きへの入り口』があります。
この中には同時に使えなかったり、順番に気をつけたいものがあります。
たとえば内容証明郵便などの文書による未払い賃金の請求(催告)は、労働基準監督署への申告の前にしておくよう労働相談で指導されるでしょう。過去の残業代が時効で消滅するのを防ぐため、急いで内容証明を送ることもあります。
少額訴訟など自分で裁判所に申立をおこなう場合も、裁判手続きの前に文書で請求を送っておく方がよいことが一般的です。相手が勝手な反論をしてくればそれを検討できます。逆に話し合いが始まるかもしれません。
労基署の関与は、訴訟になったら打ち切り
残業代請求や解雇撤回を求める内容証明の利用なら、利用するかどうかを選んで決められます。しかし、労働基準監督署への申告から始まる指導や都道府県労働局へのあっせん申し立ては、裁判所への手続き(支払督促・少額訴訟・労働審判など)がなされた時点で打ち切られます。
さきに裁判所で訴訟や調停を行って結論がでた問題を、あとで労働基準監督署に持ち込むこともできません。
給料未払いという違法状態や不当解雇といった労働問題について、行政上の手続きである労働基準監督署への申告・労働局へのあっせん申し立てを経てから裁判所での手続きを使うことはできます。
逆の順番や同時平行ではできないのです。
解雇予告手当と給料の未払いなど相手方に対して同時にいくつかの請求ができる場合、請求の一部だけを少額訴訟で先行させる人もいます。わざわざ経費が余計にかかることを受け入れてまで手続きを分ける意味がないことがほとんどです。
このあたりは少額訴訟や労働審判を自分で申し立てたという人たちのホームページには適切に書いていないことが多いですが、それは彼らが選択肢としてそれしか考えなかったからそう動いただけです。未払い給料の回収のためにこれから自分でなにかしようという人たちから見れば、彼らの選択は必然的でも合理的でもありません。
「審査請求」と労使間の裁判手続き
一般的には上記のとおり、行政上の手続きが裁判手続きの前になされることが理想で逆の順番や同時並行での利用はおすすめできません。しかし、行政上の手続きと裁判手続きを同時に行うこともあります。
雇用保険の離職理由、あるいは社会保険の被保険者期間をめぐって不利な判断が行政庁から示された場合におこなう申し立てを、審査請求といいます。これは労働局や厚生局に置かれた部署に申し立てる、行政上の手続きです。この手続きで相手の妨害を排して有利な結果を得るために、さきに裁判手続きを経ておくことがあります。以下で説明します。
裁判手続き相互の関係について最終的には、通常訴訟へ
給料未払いをはじめとする労働問題解決のための裁判手続きはいろいろあり、裁判所に申し立てられた手続きは裁判所のなかで少し複雑な動きをします。
手続きの選択に影響することもありますので、少し見てみましょう。
自分がまずできそうなことから始めてしまうのは、紛争の解決のために適切な選択にはならないことがあります。
他の手続きから通常訴訟に移る場合支払督促・民事調停・労働審判から
未払いの給料や残業代、つまりお金の支払いを請求するための裁判所への手続として、最初に自分で『民事調停』や『支払督促』の申し立てからはじめた場合は、民事調停なら不調に終われば(支払督促には、使用者側から督促異議が出されれば)印紙代の差額を払って『通常訴訟』に移ることができます。『労働審判』で審判に異議が出された場合もおなじです。
使用者側がこれらの手続きを不調にしたり異議を出すには、特に理由は必要ありません。
通常訴訟での提訴から裁判手続きの利用をはじめた場合でも、まれですが裁判所の判断によって調停(自庁調停)に移されることがあります。筆者の事務所では1例、地裁通常訴訟が自庁調停に移り、調停に代わる決定によって終結しました。
訴訟が別の裁判所に移る場合管轄に関する移送・裁量移送
少額訴訟であれ通常訴訟であれ訴訟は裁判所の判断により、ほかの裁判所で続けるように決められることもあります。移送といいます。移送には、地理的に別の裁判所に移る、というものと簡易裁判所から地方裁判所に移される、というものがあります。
筆者自身が起こした労働訴訟では、簡易裁判所への通常訴訟→地方裁判所への裁量移送→地方裁判所で自庁調停、という過程で解決したことがありました。
未払い残業代の請求をする際に、会社側から管理監督者性を争われたり労働時間に関する規定の有効無効を争うこともある労働訴訟では、訴えの目的になる額が少ないから単純だ(簡易裁判所で維持できる)、というようなことにはなりません。そう考えるのは危険です。
場合によっては、未払い賃金の請求で請求額10万円強の本人訴訟でも地方裁判所へ裁量移送されることがあります。特に地方裁判所の支部と同居していない小さな簡易裁判所に労働関係の訴訟を係属させた場合、それが最寄りの地方裁判所本庁あるいは地裁支部へ飛ばされる可能性もある、ということです。
自分で書類を作って未払い賃金請求訴訟を進めていた方で、移送の決定には抗告できる(別の裁判所に移送すべきだという裁判所の判断を争える)ことを知らず裁判所から説明も受けないまま他県の裁判所への移送決定に同意した、という人も見たことがあります。ウェブにあまり載っていない情報を要する事態になったとき対応能力が弱すぎるのが、専門家への相談もないまま訴訟を進める場合の難点です。
特に少額訴訟を選んだ場合
少額訴訟は解雇予告手当や残業代、給料の未払いなど60万円までのお金の請求について利用できる、一回の期日で審理を終えることを目指す手続きです。ほかにも手続きの選択の際に考慮しなければならない特徴を持っています。
少額訴訟で出た簡易裁判所の判決に不服がある場合、控訴して地方裁判所で審理を受けることは制度上できません。同じ簡易裁判所でもう一度争う構造をとります。
少額訴訟での解決を望むことは、控訴して地裁で争う選択肢を捨てることにもなります。
この点で少額訴訟は、裁判所の手続きの中で比較的ほかの手続きやほかの裁判所との関わりが薄い手続きだといえます。
また、簡易裁判所の訴訟のなかでも少額訴訟だけは、少額訴訟債権執行という一種の強制執行の申立を、その少額訴訟が終わった簡易裁判所に申し立てることができます。
ここ数年で、債権差押をはじめとする強制執行の申立の取り扱いを別の裁判所に集約する地裁支部が増えてきていますので、最終的に強制執行までおこなう可能性に注目して少額訴訟を選ぶということもあるでしょう。
しかし訴えられた相手(被告)は、あなたが選んだ少額訴訟を『通常訴訟』に移すよう申し立てをすることができます。裁判所が職権で通常訴訟に移すこともあります。
あなたが少額訴訟を選んでも、その狙いが必ず実現できるというわけではありません。
70万円の未払い賃金があるのにわざわざ60万円だけ請求することにして少額訴訟を選ぶ素人がいますが、そうまでやっても確実に少額訴訟で終われるわけではないのです。これはムダです。
雇用保険・社会保険の「審査請求」が関わる問題
審査請求とは
労働保険や社会保険に関する行政側の判断に不服を申し立てるために行う、行政上の手続きを審査請求といいます。行政庁による処分の取消を求める裁判上の手続き(取消訴訟)は、審査請求や再審査請求のあとにすることとされています。
小さな企業の労働問題では、雇用保険の離職理由(事業主が労働者を懲戒解雇したと言い張っているため、失業給付の給付制限がかかる)、社会保険の被保険者期間(被保険者資格を取得・喪失した日を、事業主によりごまかされたた)などで労働者側が受ける不利益に対抗するためにこの手続きを利用します。
審査請求の問題と対応の可能性
上記のように、労使間で争いがあるときに申し立てる審査請求は、相手の妨害がふつうに発生します。実際と違う説明をする・書類を変造したり提出しない、自分の主張を曲げない、などです。
しかし残念ながら、審査請求の手続きで相手の妨害を排除するのは難しい実情があります。
こうしたとき、審査請求の前に通常訴訟や労働審判手続きを起こして、つまり相手と直接対決して事実を明らかにしておき、その後に審査請求をおこなって行政上の処分でも有利な結果を得ることができます。争っている相手を訴える裁判所での手続きと行政処分への審査請求は制度上まったく別のものですが、まった別であるためにこのように使ってもかまいません。
例:懲戒解雇・残業時間など
典型的なのは懲戒解雇されたときです。使用者が労働者を懲戒解雇し、離職票にもそう記載して交付する場合、労働者は離職理由に異議を述べることはできます。職安は異議をきっかけに調査をはじめますが、使用者側が懲戒の正当性を言い張った場合調査不能になります。当然ながら、雇用保険失業給付の給付制限はかかったまま、ということになります。
これに対して審査請求だけを申し立てることはできますが、使用者側が懲戒の正当性を主張して譲らないかぎり労働者側の審査請求はまず通りません。好ましくはないのですが、そういう実情があります。
これに対して、労働者が使用者を相手取って懲戒解雇の無効の確認を求める裁判手続きを取った場合、労働者側に有利な判断がしばしば出ます。懲戒解雇が有効である状況・条件は、法律上はそう多くないためです。
これもまた、制度の実情です。したがって、労働審判なり通常訴訟でまず「懲戒解雇が無効であること」を明らかにさせてからその結果を審査請求に持ち込むと、(裁判手続きの結果をひっくり返す主張はまず審査請求で認められませんので)審査請求でも労働者側の主張が通って普通解雇などに離職理由が訂正され、相応の失業給付が始まる、という流れをたどることができます。面倒ではありますが、制度の実情に応じて合法的に行動し、労働者の権利を守れます。
おなじようなことは、残業時間・賃金の減額などを理由に特定受給資格者に該当するかどうかを適切に判断させたいときにもできます。残業代を会社から払ってもらえるかどうかはともかく(倒産状態で支払い能力がなくても)、残業時間が多いために特定受給資格者に該当することを認めさせる目的で残業代請求に関する裁判手続きを取ることができるわけです。
いつ雇用関係がはじまりいつ終わったか、は健康保険・厚生年金被保険者の資格取得・喪失にも関わりますから、雇用契約終了・開始が関係する裁判手続き(退職後の未払い賃金の請求など)の結果はやはり、審査請求への転用が可能です。というより、転用できるように裁判手続きの始め方や終わり方を工夫したいところです。
失敗例の可能性:残業の事実を認めない残業代請求
まれに、未払い残業代の請求で他の従業員への波及を防ぐため、使用者側から「残業代ではなく、慰労金(または、解決金)として金○○万円を支払うこととしたい」といった提案が出てくることがあります。安易にこれに応じると、残業の有無や時間数は対外的に不明なままです。単に残業代が会社から取れればいいわけではないならば、裁判上でも裁判の外でも、和解の条件に工夫が必要だということになります。
審査請求の期間
上記の説明では裁判手続きの後に審査請求をする想定で説明しましたが、実際には審査請求を申し立てたあとに裁判手続きを始め、裁判手続きのほうが終わるまで審査請求に関する判断を待ってもらうこともあります。
これは、審査請求ができる期間に制限があるためです。一般に審査請求には、不利な処分が出たことを知った日から3ヶ月以内にしなければならない規定があります。この規定は守らなければなりませんから、一応審査請求は出す、ということになります。
その後か同時に、行政庁の誤った処分が出た原因になっている事実関係(使用者による懲戒解雇の有効無効など)を直接争う裁判手続きを始めるのでその結果を待って審査請求の正否を判断してほしいと上申して、事実上手続きを停めてしまうことができます。
同時に労働審判など迅速な終了が期待できる裁判手続きを申し立てて、そちらで有利な結果を導いたら審査請求の添付書類として追加で提出する、というのがいまのところ、当事務所で一般化できわりと確実に労働者側の不利益処分をひっくり返せる流れだと考えています。
たとえば、ものすごく熱心に審査請求・再審査請求に取り組めばわざわざ別の裁判手続きを用いる必要がないかもしれません。比較的早期に、比較的ましな判断を審査請求で得やすいのがこの流れだ、という程度で万人向けではないかもしれませんが、弁護士や労働組合などごり押しが得意な人を味方に付けられない一般人には向いていそうです。
まとめ
このように、給料未払いや不当解雇などの労働問題について労働保険・社会保険の審査請求で有利な処分をえること、そのためにいったん裁判手続きを経由するという使い道もあります。逆に、残業代請求などで代理人による交渉や労働審判手続きを終わらせようとする場合も、条件の付け方によっては雇用保険の給付に有利・不利の差がでてくることもあるかもしれません。残業や解雇など、一つの問題にこだわらずに問題の全体を見てくれる相談者が重要な理由はここにもあります。
自分は・相手は・周りの人は何ができるのか?
以上のような『自分と相手と関係者=裁判所や行政機関がとれる選択肢』を一通り頭に入れた上で、自分の労働紛争を解決するためにまずどの手続きから入るのかを慎重に選ぶ必要があります。
場合によっては裁判所その他の手続き取扱機関に上申書を出すなり、あるいは実費の無駄を承知のうえで手続きを取り下げたりして、少しでも自分の思うとおりにことをすすめる必要も出てきます。
こうしたことが考えついたり実行できるかどうかが経験者と初心者の違いといってもいいでしょう。有料で専門家の労働相談をうける意味もそこにあります。
これらの手続き一つ一つの選択肢と彼我の状況を見た上で、最大限効果を発揮させるのが相談担当者としての筆者の仕事なのですが、ほかの例として『証拠はだせそうだが、債権額が少ない給料の未払い(約2万円)』だけ裁判所に支払督促の申し立てを行う一方で、証拠は全くない『解雇予告手当の請求(20万円超)』はもっぱら労働基準監督署の指導で請求してほぼ全額を回収したことがあります。
もちろん、指導と一部の書類作成は行いましたが実際役所へ行ったのは当事者本人という、典型的な本人訴訟の支援です。
裁判所へ申し立てる支払督促は、相手方が異議をだせば『通常訴訟』へ移行します。『給料を払わなければ訴訟を起こすよ』という意志をこれほど明確につたえられる方法はほかにありません。相手方に与える脅威という点で、行政書士が作る内容証明の比ではないのです。
加えて、少し意地が悪いのですが請求額を2万円強に押さえ込んで、『相手がどんな専門家(弁護士や司法書士など)に頼もうとしても、必ず採算割れする』ようにしています。
こうして相手に、こちらが訴訟を選べることや今後面倒になる争いに巻き込まれたことを十分わかってもらったうえで、さらに証拠がないから裁判手続きに適さない解雇予告手当の請求については労働基準監督署をたよって、『自発的に払ってもらった』わけです。これらは弁護士でない素人が、相手にかける圧迫としての法的手続きの効果を最大限発揮させたものといえます。
この相手方は当初、こちらの内容証明を無視し労働基準監督署の指導ものらりくらりとかわしていましたが、支払督促で強引に法的手続きに巻き込んで、異議がでてから訴訟に移行する(第一回口頭弁論期日が指定される)までの約3週間の間にあらためて『労働基準監督署の指導を拒否するようなら、刑事告発』の可能性を示して(実際に告発状を出したわけではありません。そしてこれこそが重要です)ほぼ全額の回収をはかることができました。
ですが労働基準監督署に刑事処分をいきなり求めても、それが給料未払いの解決につながるわけではありませんし、労働基準監督署から見て交渉過程が見えてもいない(本当に、わざと賃金等を未払いにしているか第三者からみてわからない)のにいきなり刑事告発すればどうにかなる、と考えるのは非現実的です。
不愉快かもしれませんが、労働問題の解決のための相談では相手の出方、その前提になる相手の個性や考え方への深い洞察を欠かすことができず、これが法律上の権利や正当性よりよほど重要なのです。